死や愛と信じるものについて
2024-12-14
はじめに
この記事は2024年の”推し”本 Advent Calendar 2024の14日目の記事です。
今年はおよそ25冊程度の本を読み切りました。記録し忘れている本や、APIで取得できなかったため記録できなかった本などもあります。 まだ読み切れていない本や、読み切ることを諦めている本などもあります。読み切れなかったものはこの年末年始にでも読み切ろうかなと思っています。
さて、今年読み切った本の中で、「この本は多くの人に読んでいただきたい」という一冊を選ぶとするとこの一冊になります。
「チェルノブイリの祈り 未来の物語」スベトラーナ・アレクシェービッチ 著, 松本妙子 訳, 岩波現代文庫
僕が読んだのは2011年に刊行された本ですが、同じタイトルとして2021年に刊行された完全版がありますので、もしこれから読むのであれば後者を読んでもいいと思います。
この本の存在自体はかなり昔から知っており、いつか読みたい本としてリストに記録していました。 同じ著者の「戦争は女の顔をしていない」を昨年読んでいたことと、戦争関連の話題を日頃から目にしていたので、その流れでロシアの軍事戦略や戦争の歴史、ウクライナの歴史など興味の赴くままにさまざまな本を読む中でこの本を手に取ってみました。
また、この記事について、ほとんどが引用になってしまってるかもしれないのですが、自身で噛み砕きながら書いています。間違いなどもあるかもしれません。ちょっとした参考のために文献のリンクを貼っていますが、しっかりと読み込めていない部分もあります。記事を書いている中で考えがまとまりきらず、ふわふわしてしまっている部分もあります。ご容赦ください。
国民性についての興味
ロシア人は大混乱を克服し、おさめようと試みる一方、古い文献に成り行き任せな性格だと言われています。 ヨーロッパでは紡績時代やマニュファクチャー時代のように、機械と人間はともにあゆみ、ともに変化してきました。この変化の中で技術的な認識と思考が形成されてきました。しかし、ロシアでは斧や大鎌、ナイフ、そしてシャベルのうえに彼らの全世界が成り立っていました。ヨーロッパでは職人や道具に対する敬意を持って接していましたが、ロシア人は機械との対話を試みようとせず、妬み、軽蔑していました。ロシア人は進歩に対する敵対意識を抱いていました。
原子力発電所の作業員のなかには農村の人間がたくさんいました。原子力発電所での作業を行う一方、畑で農作業を行うという面があり、その原子力時代と石器時代という二つの文化を行き来していました。技術産業における規律は彼らを縛る暴力で、成り行き任せで自由気ままな国民が憧れる自由の民とはかけ離れていました。
文芸批評家ヴィッサリオン・ベリンスキー(1811―1848)は、「ロシア人はイギリスに行けばイギリス人のようになり、フランスに行けばフランス人のようになる。そのような高い適応能力こそがロシア人の独自性である」と述べます。 ロシア・ウクライナ戦争とナショナリズム
これはロシアについて調べている際に見つけた記事です。
ここまで本の中で語られるメッセージや関連する文献から言葉を借りてきました。
ロシア人の欲する自由の民とはどのようなものであったのか。高い適応能力をもち、信じるものを欲するロシア人が原子力を信じてきたように、市場経済を信じ、これから何を信じて生きていくのか。そして過去にどのようなものを信じて生きてきたのか。調べていく中でロシア人に対する興味が湧いてきました。
そして、事故後の処理作業に繰り出されたリクビダートル(ロシア語で「後始末をする人」の意味)の人たちはなぜ自身の命を捨てる覚悟で作業を行えたのかについても考えたいことの一つです。自分の命を投げ捨ててまで、国のために意義のある役割を持った唯一無二の人間として永遠にあり続けることを望んだのは、そこに国に対するなんらかの信じるものがあったのでしょうか。
痛み、恐怖、苦悩、そして哲学
この本のほとんどが事故による放射能の影響を受けた人たちの痛みや恐怖、苦悩を含んだメッセージでした。彼ら彼女らの目にうつったであろう、人が人の形をしなくなる姿を描写するシーンには苦しさを覚えました。
そんな痛みや恐怖、苦悩を抱えながらもそれを受け入れつつ、「チェルノブイリを哲学として理解して生きていかなければならないのだ」というメッセージには強く惹かれるものがありました。
美しく汚染された地域にあるさまざまな思いを一つ一つ噛み砕き、死や愛、信じるものについて考えながら再びゆっくりと読んでみようと思います。今はまだ考えられないことも、理解できないこともたくさんありましたが、10年後、20年後と、人生を歩む中でこの本から得られることはたくさんありそうです。
終わりに
考えがまとまりきらず、ブログとして文字を書いて公開するために、何を書いたらいいか悩む時間が多くなってしまいました。
今年読んだ本の中でお勧めしたい本をどの本にしようか数日考えていました。この本ではなく他にも良かった本は何冊もありましたし、そちらの記事を書こうと思っていましたが、それでもこの本を手に取って読んでもらいたいという気持ちの方が大きかったため、選ばせていただきました。